昭和51年06月13日 特別報修委員会



 新しく祈願詞を奏上させて頂く様になって、今日で二日ですかもう三日目か、久留米の井上さんな、一日で覚えなさったげな、若いしいやほんとに、私あの拝詞の時も一日でもう覚えてからもう是なしに上げましたけれども、今度は覚えようと言う気が一つも起こらんとですよね。そしてから今始めて私はまあ、先唱させて頂いた訳ですよ、何時もの風にそしてこう読ませて頂きながら、目で追う一字一字を思うて行きよったら、ありがたくなりましたこれはねぇ。
 あのひょっとすると空暗記するよりもこれを一字一字、あの空暗記しますと、あら今日拝詞なんかでも、大体思うてから上げるごたるけれども、あのもう唯さあっと上げてしもうとる時が多かったでしょ、皆さんもそんながあるでしょうが、だから是も覚えてし貰うたらです、そんな事にならしませんでしょうか。是はやっぱり覚えてしもうたっちゃ、やっぱこの一字一字を追いながら。
 そのいわゆる実意丁寧、神信心の生活を進め給えて、例えばもう、本当に実意丁寧、神信心の生活を、こちらも進めなければ、ならんと言う気がする。これはどちらがどうと覚えないと、こちらがもうおぼえられなくなったから、言う訳じゃないすけれども、あのうこれは字を追うて、奏上さしてもらうと言う事も、これは有り難い事です。もう無理しなさらんがいいです。もう一年も掛りよりゃ、たいがい覚えられますでしょうから、これはやっぱり有り難い。
 もとから押し頂いて、頂くと言うねぇ生き方、先ほどあの稲垣さんがあのお届けされる中に、昨日新聞に京都の方であのう般若心経ですか般若心経、般若心経を百万べん上げようと決心した方があった。百万べんそれをね十三年間かかって上げられた。私はどうしても信心にはそう言う、一つの執念の様なものが要りますです、ね。都合の良か時なんてん、この事だけは神様へと言う心を向けたらです百万べん、十三年掛かって上げられた。所が十三年間掛かって上げられ頃にはその霊徳を受けられた。
 何かこう透視ですか、何か言うならあの千里眼的な、それがどうとも思いませんけどもです、しかしほんとに、良い意味での執念ですよ、素晴らしい事だなと思いますねぇ、
 先ほあのう佐田さんの所の、今の大学に行っている娘さんが一緒に、今日お参りして来て居りましたが、この頃からあのお便所の掃除で、もう大変御かげを頂かれて、光り輝く様にしてその御かげを頂いて、お母さんがあのこのお腹が悪い、下の方が関連した病気なんですけれども。
 もうそれをさして頂く様になって、もう大変御かげ頂いとる訳です。それがその朝、学校に行く前に紀子さんが必ず、お掃除をして行くんだそうです。所がやっぱ学校へ行く前ですから、やっぱり粗雑になって、こげん美しくしとらじゃったに、帰って来るとキラキラ光よる、ごとなっとる訳たい、それを誰かしよらんじゃろうかと思うて、そのまましとったらしいんですよ。
 そしたらあのう今日一緒に参って来てから、その事をお母さんがお届けさして頂いたんですよ、そしたらそれを聞いとってから、なんかそこさん下がってから、シクシク泣きよるげなものなんて泣きよるちゅうたら、もうその自分の城の様に思うとったって、便所はもう自分こそ、するもんだと思うとったのに、お母さんがそんな事したけん、もう悲しゅうなってから、もう明日からせんちゅううごたる風に言うそうですたい。
 しかしまあほんとに人間には、喜ばねばならん事をなんか悪い意味の、こんだ執念これは良い意味じゃない。何かそう言うもう本当に憎たらしいって言うか、もう厭らしいと言うか、そう言う心が自分の中にあるです。銘々特に女の人はあるです。もう憎たらしいとか、厭らしいそう言う心が、もう本当言うたら、お母さんその為には健康になって行きよる。便所のしよる、自分も朝して行く。
 ならもう二人が三人、四人、五人続けて、したっちゃあ良か訳でしょうが。所がそこにそのなんちゅうか人間の業とでも言うでしょうかそれがもう、涙んでるごと歯がゆくなって来る。私しゃねこれは一事が万事に生活の上に、そう言う様なものがチラチラと出て来る。それが今日の、あの御理解に頂きます様に、愛とは段々、それが神愛と言う所まで育って行かなきゃあいけない。
 もう有り難うして涙がポロポロ流れる。いま石川のお婆ちゃんが、そのお届けを、大祓い信行をさして頂きよると、兎に角もう有り難うなって、涙がポロポロ流れる。その不思議な事じゃあんのう、有り難うして涙が零れる。そのう有り難うして涙がこぼれる、その事が又有り難いと言う訳なんです。信心とはそう言うその有り難いから、有り難いを追求して行くものです。
 人がそうしたけん腹が立つごたる事では、所がそう言う様なものが、なら私共の心の中には、言うなら鬼と仏が同居しとると言われる様に、こちらには仏心が出ておるかと思うと、こちらには夜叉の様なそんな心がですたい、あらそりゃもう、お母さんこの頃えらい美しゅうなりよると思ったら、お母さんが御かげを頂きよったばいのと。はぁもう愈々家のお便所は光り輝くしにゃいかん、のという言える所でしょう普通は。
 所が歯がゆうて涙が流れる、そう言う様なものも、私共の心の中にはある事を段々極めて参りますとそれは、もうそう言うだから、あの佐田さんに言うた事ですけれども、これはもう一事が万事に不幸の元になる心だから、今の内に摘み取って置かなければいけない、と言うた事でした。どうぞ一つ御かげを頂いて、良い念有り難い念が、ここに燃えて来る御かげを頂きたいね。
   どうぞ。